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痔の歴史は繰り返される!?
あまり知らないととは思いますが、歴史上の人物もずいぶん痔に悩んでいます。
もちろん現代でも痔になる人が多いわけですから、痔の歴史は長いのです。
そういった意味では、人類の歴史からずっと痔を患ってきたのでしょうね。
今は医学が発達しているからいいでしょうが、昔の人は非常に大変だったでしょう。
松尾芭蕉
「持病さへおこりて、消入計(きえいるばかり)になん。」(「奥の細道」より)
(持病まで起こって、苦しみのあまり気を失いそうになった)
東北、北陸、近畿地方にかけて約2,400kmを150日で歩き、忍者説もある松尾芭蕉。
名著「奥の細道」を残した偉大な詩人です。
松尾芭蕉の持病は、裂肛(きれ痔)と疝気(せんき=腹部の疼痛)と言われてます。
この文は奥の細道に記載してある通り松尾芭蕉の痔は悪化し、
痔の出血も多くなり、発句どころではなかったようです。
そのため痛みや出血の症状が治まるまで宿に泊まっていたそうです。
実は「痔が痛くて歩けないわ・・・」と言っていたのかもしれません。
野口英世
野口英世は手を熱湯で大やけどを負いつつも、
世界的な医学者としての業績に加え、努力、忍耐、不屈の人として有名です。
黄熱病という当時不治の病と言われ病気に敢然と立ち向かう姿勢は、
まさに医者の鏡、不撓不屈の精神と呼べるでしょう。
そんな忍耐の人物にも我慢できない程辛いことがあったのです!
「実は小生昨年十月頃より痔をなやみ夜分も安眠を不得(えず)、
月を追うて重り行く傾向有之候。(けいこうありのそうろう)」
野口英世が28才の時、恩師にあてた手紙の文面です。
つまり「痔に悩んであまり眠れない。日々症状は重くなる・・・」と書いています。
症状から判断すると、「いぼ痔」か「痔ろう」のどちらかだったと思います。
手紙に書く位だから、相当痔が痛かったり、うずいて辛かったのでしょうね。
「痛くて我慢できないなら、もう笑うしかねぇ」という心情だったのでしょうか。
加藤清正
加藤清正は豊臣秀吉の子飼いの猛将として、熊本城の築城者として、
また灌漑(かんがい)土木工事の大家として、“セイショコ(清正公)さん”の愛称をもって
今日まで広く尊敬を集めています。
清正といえば虎退治!
この猛将にも退治できなかった手強い相手が存在していたのです!
虎以上の強敵・・・・そんな強敵というのは、なんとおしりの病気「痔」だったのです!
清正の痔はかなりひどく、一度トイレに入るとなかなか出られず、
時には1時間以上トイレから出てこれないくらい重い痔を患っていたそうです。
土木の神様と言われ、熊本での神様扱いをされ神格化していた清正。
遠く離れた江戸でも開運の神様と奉られた数々の名前を持つ偉大な武将清正ですが、
トイレに入っているときは“苦しいときの神だのみ”をしていたことでしょう。
「くー、自分のお尻は工事できねぇんだよ!」と叫んでいるんでしょうか。
大岡忠相
大岡忠相(おおおかただすけ)は「名奉行 大岡越前守(えちぜんのかみ)」として、
歴史書よりもむしろ演劇、講談、落語などで親しまれています。
現代でもTVとか時代劇で有名ですよね!
しかし、公明で人情味あふれた忠相像は、実は後に創作された読み物「大岡政談(せいだん)」
が創り出した作り話で、実際は常に冷静で、計算の行き届いた官僚の鑑(かがみ)のような人物で
あったそうです。
写真の通り、まさに官僚!って感じのスマートな容姿ですからね。
庶民受けをしやすいよう遠山の金さんと同じように人情厚い人物になったのです。
常に冷静沈着でクールな大岡忠相にも頭に血がのぼった事件がありました。
2日後に迫った公用の行事で大岡忠相は「痔の出血のため痛くて休みたい」
と責任者の稲生正武(いのうまさたけ)に告げると「今頃言ってもだめ!」との返事が返ってきました。
カッとなった忠相は一方的に断わり、ついに行事は欠席してしまう有様!
しかも。その日の日記には「痔血走り、今日まかり出ず在宅」とあります。
冷静な人でもさすがに痔はで業務はちょっと辛かったんでしょうね。
「マジ公務どころじゃない!痛くて長時間座るの辛いから仕事なんか行くか!」こんな感じ?
ナポレオン
「吾輩の辞書に“不可能”という文字はない」と言いきったナポレオン皇帝も、
1815年46歳のときにワーテルローの戦いに敗れ、セント・ヘレナ島に流されてその生涯を閉じました。
ある記録によるとワーテルローの戦いという自分の一生を決める戦いの2〜3日前に
「血栓性の痔核」でひどく悩んで辛かったのだそうです。
痔の痛みのために、あの鋭い指揮力も鈍ってしまったのでしょうか。
もし痔が改善したり完治していたら歴史は変わってたのかもしれませんね。
「血栓性外痔核のおかげで、馬に乗ると・・・”ウヒャー痛い!”」と言ったとか言わないとか。